お笑い界で絶大な人気を誇るバナナマン。
設楽統(したらおさむ)さんと日村勇紀(ひむらゆうき)さんによって結成されたこのコンビ、その名前の由来や二人の出会いには興味深いエピソードが隠されています。
今回は、
- バナナマンのコンビ名の秘密
- 二人の出会い
- 結成のエピソード
を調査してみました。
ファンの方はもちろん、お笑い好きの方にも必見の情報をお届けします。
それでは、さっそく本題に入っていきましょう!
バナナマンのコンビ名の秘密は?

バナナマンというコンビ名には、深い意味が込められているのでしょうか?
バナナマンのコンビ名「バナナマン」の由来には一連の経緯があります。
- 最初のコンビ名1994年2月、設楽統さんと日村勇紀さんは「設楽日村」の名でデビューしました。
- ある日突然言い出したそうです。
- コンビ名を「バナナマン」に名前変更しました。
- 設定楽さんが聞いて覚えていた日本人への蔑称を逆手に取り、発言と憤りを込めてコンビ名に採用したようです。
このように、「バナナマン」というコンビ名は、海外で日本人に対する蔑称を巧みに取り入れ、コメディに昇華させた結果が生まれたもののようです。
↓↓↓動画の中で少し触れていましたので、ご覧ください。↓↓↓
二人の出会い

バナナマンの設楽統さんと日村勇紀さんの出会いは、1993年にさかのぼります。
二人は共通の知人である西秋元喜の呼びかけにより初めて出会いました。
当初は4人組のグループを結成する予定でしたが、活動を進めるうちに二人でのコンビ結成に至りました。
1993年10月、2人の共通の知人であり『東京フレンドパークII』に従業員として出演していた西秋元喜の呼びかけにより・・・
引用元:hmv.co.jp
この出会いの背景には、それぞれの興味深いエピソードがあります。
- 日村:高校時代のコンビ「陸上部」が解散し、ピン芸人として活動していた
- 設楽:渡辺正行の運転手をしながら、新たな相方を探していた
渡辺正行の付き人を務めていた設楽と、高校の同級生とコンビ「陸上部」を組んでいた日村が知人の紹介で出会い、1993年にコンビ結成。
引用元:natalie.mu
結成のエピソード

バナナマンの結成には、いくつかの重要なステップがありました。
- 1993年10月:設楽と日村が出会う
- 1994年2月:「設楽日村」の名でラ・ママ新人コント大会でデビュー
- 1994年春:「バナナマン」に改名
- 1995年:初の単独ライブ『処女』を開催
1993年にコンビを結成(結成時のコンビ名は「設楽日村」)。1994年2月に渡辺さん主催のお笑いライブ「ラ・ママ新人コント大会」(渋谷La.mama)でデビューしました。
引用元:news.radiko.jp
結成の夜、日村さんは設楽さんの家に泊まり、「オレたち、これから凄いことになるぜ」と真顔で宣言したというエピソードも残っています。
設楽の家に泊まることになった日村は、一度消えた部屋のあかりを再びつけ、何を言い出すのかと思いきや、「オレたち、これから凄いことになるぜ」と、真顔で話し、設楽は突然の告白に戸惑いを隠せなかったという。
引用元:sekasuu.com
この言葉通り、バナナマンはその後、テレビやラジオ、ライブなど多岐にわたって活躍し、日本を代表するお笑いコンビとなりました。
まとめ
今回は、バナナマンのコンビ名の秘密と、二人の出会いと結成のエピソードについてお伝えしました。
バナナマンのコンビ名には、アメリカにおける日本人への蔑称を逆手に取った深い意味が込められていました。
また、設楽統さんと日村勇紀さんの出会いと結成の過程には、運命的な要素と二人の努力が詰まっていたことがわかりました。
これからもバナナマンの活躍から目が離せません。今後の彼らの成長と新たな挑戦が楽しみですね。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!
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